寄稿3-コロナに想う
不運だが幸運
コロナの正体が少しずつ明らかになってきました(執筆しているのは令和二年七月)。今回、私の見解を率直に表現いたしますと「人類はまだ幸運だ」です。何と唐突な!と思う方もいらっしゃることでしょう。でもよくお考え下さい。①空気感染はほぼ無い ②八割程度が軽症で済む ③死亡率が格段に高いというわけではない、子供たちの致死率は極めて低い ④自粛などの対策で制御がある程度可能。これがコロナの特徴です。エボラウイルスのように致死率が三‐五割にも及んでしまうウイルスであったならどうか。人類の半分が死亡し、生き残っても長期間に及ぶ避難生活(例えば過疎地、山奥など)を強いられるウイルスであったらどうか。今回は本当に幸運であったと思いませんか?ただしストレスを強いられる現況が続くのは受け入れられません。「究極の目標」であるワクチンや特効薬の開発を待つしかありません。よって残念ながら少なくとも三年は今の生活が続くと考えています。しばらくはwithコロナの時代になるのです。それでもやはり私は「まだ人類は幸運」と思うのです。
感染の拡大抑制にはモニターが必要
感染者がまた増えつつあります。国の芯が無い対策には思うことはありますがここでは詳しくは述べません。とかく感染者の数が話題になりがちですが八割は軽症であるというこの病気の特徴を踏まえ、私は死亡者数と医療機関の空きベッドの数を指標に経済を回していく方法が現実的だと考えます。とは言っても感染者の把握は必要です。診断法ではPCR検査が王道ですが何かと手間がかかる。そこでより簡便にPCR検査を行える方法や、私が働いているようなクリニックレベルでも安全に・簡単に検査できるキットの開発が待たれます。PCRの精度は七割と低く、キットのそれもさらに低いため信用できないという意見もあります。しかし私はこれらを組み合わせ、症例によっては翌日に再検査することで解決できると考えます。また必要であれば症状の経過や肺のCTを参考にすることで「現時点では陰性ですが安心出来ません。だからしばらく自宅で安静を」というような助言が出来ます。疑わしい患者も含めて適切な方向に導き、しっかりとモニターすることで感染が拡大することを防げるのです。プライバシーや偏見の問題も生じるでしょう。しかし狡猾なウイルスに打ち勝つには必要かつ有効な方法であると私は確信しています。
サイエンスを活用する
それでは感染を避けるには日々どのような対策をとるべきでしょうか。まずは感染する機会を減らすことです。うがい、手洗いなどに加え「三密を避ける」は当たり前のことになりました。もう少し踏み込んだ指針が欲しい。そこで私が考えるのはAIの活用です。既に創薬分野で活躍しているAIですが感染を減らす手立ての発見にも有用かもしれません。例えば学校という特殊な現場ではどうでしょう。ウイルス粒子が拡散する動態や付着した部位(例えば机)での生存時間に影響を与えうる気温、湿度、風の強さなどはその日その日で異なるはずです。これらを多面的に解析し「日替わりの」対策、例えば教師‐生徒/生徒‐生徒の間隔、換気の回数などを弾き出すのです。条件が良ければ「今日は少々密になる集団活動が可能かも(例えば球技など)」という話になるのかもしれません。ごく一例ですがコロナに対抗するにはサイエンスが活用できるはずです。人類が発明したAIや量子コンピュータをフルに用いて有効な対策が導き出されることを期待しましょう。
終わりに
六月初旬、私が県内の山奥で趣味のヤマメ釣りに興じていたまさしくその時に執筆の依頼のお電話を頂きました。清流から見える緑萌える山々、茶畑など牧歌的な風景を目にすると「我々が苦しんでいるコロナ騒動は幻想ではないのか?」疑ってしまうほどののどかさです。戦時中に疎開していた子供たちもおそらく同じような思いだったことでしょう。withコロナはまだまだ続きます。野球で言えば三回が終了したころでしょうか。気が重くなりますが人と人、国と国の連携を密に取りながら英知を結集させてコロナに対抗しましょう。この問題を人類はきっと解決できるはずだと信じております。また、政府は今回の経過をしっかり検証し、いずれ起こるかもしれない毒性がさらに強いウイルスの蔓延に対して無駄なく、効率よく、さらに国民の理解をしっかりと得ながら対応し、被害を最小限に抑え込めるシステムを構築できるよう頑張って頂きたいと思っています。コロナを克服できる「その日」が来るまで新しい生活様式に慣れながら精一杯生きましょう。